西国三十三箇所観音巡り 第十一番霊場。 醍醐寺(だいごじ)は京都市の伏見区にある醍醐山の山裾にあるお寺。
豊臣秀吉の醍醐の花見で有名なお寺。
麓にある伽藍を「下醍醐」、山上にある伽藍を「上醍醐」と呼びます。
貞観16年の建立と言いますから、日本中が地震や津波で揺れ動いていた時代に作られたお寺。
貞観期に起きた出来事 Wikipediaより
貞観3年(861年)4月7日、直方隕石が落下。落下の目撃がある世界最古の隕石。
貞観6年(864年)、富士山噴火(貞観大噴火)。
貞観10年(868年)7月8日、播磨国で地震。日本三代実録によれば官舎、諸寺堂塔ことごとく頽倒の記述。前年から引き続き、毎月のように地震があったことも見受けられる。
貞観11年(869年)、貞観地震とそれに伴う貞観津波が発生。
貞観13年(871年)、鳥海山噴火。
貞観16年(874年)、開聞岳噴火。 空海や最澄が没して30〜40年ほど経過した年代で、当時一般に言われていた、この世の終わりと勘違いした末法思想が広まり、日本の終焉だと不安におびえきっていた時代の頃です。

西国三十三カ所でお参りするお寺は本来、山上の上醍醐寺の「准胝堂」(じゅんていどう)なのですが、2008年に落雷のために焼けてしまって、前回、私が2009年にこのお寺を訪れたとき、ご朱印所は上醍醐登り口にある女人堂にありました。
現在では下醍醐の金堂横に朱印所が移されています。
上醍醐寺は西国三十三カ所の中でも難所と呼ばれているお寺です。
山へ登る険しさに加え、鬱蒼とした森は当時、山賊や盗賊が出たりして、巡礼を行う人にとっては苦難が待ち受けている場所でもあったからでしょう。
尚、一番の難所は滋賀県の観音正寺と言われています。
前回、山上まで登っていないので、今回は上醍醐の伽藍を巡ることにしました。
下醍醐の朱印所でご朱印をいただき、境内を通って女人堂へと出ます。
案内ではここから山上まで約1時間かかるとあります。
一般的な案内ですから、1時間もかからないだろうと甘く見ていました。
念のため自販機で飲み水のペットボトルを購入しバッグに入れます。
参道入り口で入山料600円を払い登山開始。
いきなりの階段です。(×_×;)

寒いからとあまり表に出なくて、すっかりなまった筋肉はいきなりの運動にすぐに悲鳴を上げ始めました。
10分も歩かないうちに息はハアハア、体から汗が噴き出し始めました。
寒いだろうと思って着てきていた、手袋もダウンジャケットも脱いで片手に持ちます。
この山道、大きく3つのパートに別れています。
最初は”槍山”と言う場所へ登る山道、そこから少し平坦な道を歩き、次に再び階段の続く山道。
しばらく登ると「不動滝」という水場と休憩するベンチがあります。
そして最後のパートは九十九折れの階段が続く急峻な山道。
最後の仕上げに一直線の階段が現れ、疲れた脚を更に打ちのめしてくれます。

しかも、この道は石段ではなくて、登山道に丸太を組んで作られた階段。
地面は地層がむき出しでゴツゴツしており、ところどころこぶし大の石がゴロゴロしているので歩きにくいったらありゃしない。
足の悪い方や、ご老人にとっては悲鳴を上げるほどの山道。
難所と言われるゆえんがわかりました。

峠を登り切ると少し下って
(この下りが帰り道で最後の上りとなって堪える)、上醍醐寺の境内へと入っていきます。
1時間どころか、休み休み登ったので1時間10分かかりました。
何度もこの道を往復されているのでしょう、健脚の年配の方に次々と追い越されていきました。
ナサケナヤ これで終わりではなくて、更にそこから急な石段を登ってようやく准胝堂跡地に辿り着きます。
上醍醐寺の建物の多くはまだ更に山道を登った上にあります。(;´Д`)ノ

山上の気温はこの日は4℃。
寒いどころか、汗だくで、肌に刺さる冷気が気持ちいいぐらいです。
山上の国宝や重要文化財の建築物の数々を拝観してきました。
特に、准胝堂跡地横におられた、子育て地蔵様のお顔がとても優しくて、柔らかで、おだやかで。
素敵な出会いをさせていただきました。

下りはすっかり足が疲れてしまって、ふくらはぎが震え出すほどになっていました。